大阪地方裁判所 昭和48年(行ウ)11号 判決 1978年10月26日
原告
鄭平浩
右訴訟代理人
松井清志
外三名
被告
法務大臣
瀬戸山三男
右指定代理人
高須要子
外一名
被告
大阪入国管理事務所
主任審査官
田野井優
右指定代理人
高須要子
外三名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因第1、第2項の事実は当事者間に争いがない。
二そこで本件裁決が違法かどうかについて検討する。
1 人権に関する世界宣言等に違反するかどうかについて
人権に関する世界宣言は、その前文で明らかなように、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」採択されたものであるから、国連加盟国を法的に拘束するものではなく、国際人権規約も未だ法的拘束力を有するものとして発効するに至つていない。また、国際赤十字の第一九回国際会議における「戦争、内乱その他政治的な紛争で生じた離散家族を再会させる決議」は、その成立の過程、形式からも明らかなように、あくまで道義の次元に止まり、確立した国際法規にまで高められたということはできないから、これまた法的拘束力を有するものとはいえない。さらに、日本国憲法前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」との宣言は、正当な理由および適正な手続によつて外国人を追放することまでも禁じているものとは解せられないところ、本件は出入国管理令に則り適式になされ、また後記のように正当な理由に基づいてなされたものであるから、これが右憲法に違反しているともいえない。従つて、本件採決がこれら諸宣言ならびに諸決議に違反するとしてその違法をいう原告の主張は失当である。
2 本件裁決が裁量権を逸脱ないし濫用しているかどうかについて
(一) 管理令五〇条一項に定める特別在留許可の許否の判断は、右規定の体裁自体からみて、また外国人の出入国および滞在の許否が本来国家の自由に決し得る事柄であることからして、法務大臣の自由な裁量に委ねられているものと解されるが、右裁量は、それが事の性質上、本人の個人的事情はもとより、その時々の国際情勢、内政、外交政策等一切の事情を斟酌してなされるものであり、しかも同令二四条の退去強制事由に該当する外国人に対して特別に在留を許可する恩恵的性格のものであることに照らすと、極めて広範囲の裁量に属するものということができる。
原告は、裁量行為といえども本件のように本人および家族の人権に深くかかわる場合は、単なる自由裁量とは異なり、一定の基準に基づかずになされた判断は、それ自体恣意的な処分として憲法三一条に違反し、裁量権の濫用にあたると主張するが、特別在留許可の許否の判断は、右に述べたように、法務大臣の極めて広範囲の裁量に属し、同大臣が個々の事案ごとに広く諸般の事情を考慮して決すべきものであるから、これに予め一定の基準を設定することは極めて困難といわざるを得ないし、のみならず、右許否の判断を一定の基準に拠らしめることは、右判断を硬直化し、当該事案に即し、かつ事宜にかなつた適切な判断をなすことを妨げることにもなるから、かえつて法が認めた前記自由裁量の趣旨に違反する結果となるものといわなければならない。従つて、右判断に一定の基準が設けられていないとしても、それが次の裁量権の濫用ないし逸脱にあたるのでない限り、直ちに恣意的な行政処分として憲法三一条に違反し、ひいては裁量権の濫用にあたるとは解せられない。従つて、この点に関する原告の主張も失当といわざるを得ない。
(二) しかしながら、もとより特別在留許可の許否の判断は、法務大臣の無制限な裁量に委ねられているというものではなく、それが著しく人道に反するとか、甚しく正義の観念にもとるなど、合理性を欠くことが顕著な場合には裁量権を逸脱ないしは濫用したものとして違法となるというべきである。
(1) これを本件についてみるに、<証拠>ならびに前記一の当事者間に争いのない事実を総合すると、以下の事実が認められる。
原告は、昭和二三年一一月二八日、韓国慶尚南道南海郡昌普面栗島里において、韓国人の父鄭徳永、母朴雨連の長男として出生したが、父徳永は生活に困窮し、妻子を残したまま、昭和二五年頃かつて徴用で働いたことのある日本に不法入国し、そのまま在留し昭和三九年頃特別在留許可を得た。このため原告は母雨連と祖母とに育てられて、昭和三〇年四月地元の西昌善国民小学校に入学したが、間もなくして母も原告を残して再婚し、母とも離別した。そのころ原告は、父が日本に居ることを知らされたものの、父からの便りもなく、子供ながらに父との生活を夢見ながら、祖母に育てられて、昭和三六年三月右小学校を卒業したが、その後近所の農家の手伝い、釜山での鉄工所の工員などをして働いていたところ、昭和四二年ころ、墓参のため里帰りした父と再会する機会に恵まれ、ここに至つて原告は、日本に渡つて父の許で生活することを決意するに至つた。そして原告は、自ら貯えた資金をもとに、昭和四三年一一月二四日、小型木造船に乗つて日本に不法入国した。
日本に入国後原告は、当初の目的通り、大阪府泉北都忠岡町馬瀬五七の五の父の許に身を寄せ、当時父の営んでいた糸くず関係の仕事を手伝つていたが、父は既に日本において昭和三一年に再婚し、子供を三人もうけ、原告としてはそこに居づらいこともあり、また、父の営んでいた仕事に興味が持てなかつたこともあつて、わずか一か月にして父の許を飛び出し、その後は、昭和四三年一二月ころから大阪市東区加美大芝町所在の林化学工業所で住み込みのプラスチツク工、昭和四五年五月ころから右忠岡町所在の木村メリヤスでメリヤス編工、同年八月ころから父の許でメリヤス加工、同年一二月ころから再び木村メリヤスでメリヤス編工、昭和四六年八月ころから右忠岡町所在の西山メリヤスでメリヤス編工と、住居や職を転々としながら本邦に在留していた。しかしながら原告は、昭和四七年八月一五日、大阪府和泉警察署員に外国人登録法違反の容疑で逮捕されその後大阪入国管理事務所入国警備官の管理令違反の調査を受け、本件各処分を受けるに至つた。なお、韓国において原告を育てた祖母は既に亡く、その余の肉親としては、実母が居るほか、父の兄にあたる伯父が農業を営んでいる。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実によると、原告は幼くして父と生き別れ、程なくして母とも別れて不遇な生活を送るうち、父との生活に望みを託して日本に不法入国したものであつて、その生い立ちや境遇、不法入国に至つた事情には同情すべき余地もあるが、他方原告は、不法入国当時満一九才一一か月の独身男子であつたものであり、それまで韓国において生活し、その間初等教育も受け、小学校を卒業してから工員として働くなどして自活していたものであり、本国において平均的生活を維持していくことについて何ら支障はなく、のみならず、原告の父は日本において再婚し、子供をもうけ、これらの家族を養つているのであるから、さし当り原告において父を扶養しなければならない必要があるわけでもなく、また韓国においては、再婚はしているものの、実母が居り、また伯父も居るのであるから、本国において原告の頼るべき肉親が全く居ないというわけでもない。これらに加えて、原告の滞日期間は、本邦に入国してから本件裁決日当日まで未だ四年に過ぎず、その間も住居や職を転々としているから、日本において生活の基盤を確立しているものとも認め難い。
以上の点を考慮すると、前記原告の不遇な生い立ち等有利な事情を考慮に入れても、なお本件裁決が甚しく人道に反し、あるいは正義にもとるものとはいえない。
(2) なお原告は、衆議院法務委員会の外国人の出入国に関する小委員会の昭和二九年七月二四日の決議以後、法務大臣は、現に日本に居住する夫婦親子兄弟姉妹等が他方を台湾、朝鮮から呼び寄せた場合には特別在留許可を付与しているとし、原告の場合はかかる事案に該当するうえ、原告と類似の事案である朴英植については右許可が付与され、金用昌については付与される見込みであるから、原告に対して右許可を付与しなかつた本件裁決は平等原則に違反すると主張するが、右小委員会の決議以後法務大臣が原告主張のような取扱いをしていると認めるに足りる証拠はなく、また、朴については同人の証言によると、その不法入国時の年令、それに至るまでの経緯及び生活状態、在外親族の有無等について原告の場合とは事案を異にし、これを直ちに原告の場合と同視することはできないといわざるを得ないし、金については右許可が付与されたと認めるに足る証拠は何ら存在しないから、結局のところ、この点に関する原告の主張はいずれも前提を欠き、失当といわなければならない。
三そうすると、本件裁決には何ら違法はなく、これに基づいてなされた本件令書発付処分もまた適法である。<以下、省略>
(萩田健治郎 寺崎次郎 近藤壽邦)